「ピアソラ 永遠のリベルタンゴ」 息子の目線で貴重なアーカイブを美しくコラージュ

カテゴリー/ PARIS |投稿者/ Gouret&Traveller
2018年11月29日

「ピアソラ 永遠のリベルタンゴ」
12月1日(土)より
Bunkamura ル・シネマ他全国順次ロードショー

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響くバンドネオンの激情。甘く切ないメロディーが心を揺さぶる。それまでダンスのための伴奏曲だったタンゴを洗練させ「ヌエヴォ・タンゴ」と言う新しいジャンルを確立したアストル・ピアソラ。誰しも一度は耳にしたことがある「リベルタンゴ」を生み出し、タンゴ界に革命を起こした。伝統的なタンゴを活かしながら、ジャズやクラシックなどまったく違うジャンルの音楽をあえて取り入れ、独自のスタイルを編みだした。

20世紀で最も偉大な作曲家の一人として知られるピアソラの、2017年に没後25周年として製作されたドキュメンタリーが公開される。原題は「PIAZZOLLA THE YEARS OF THE SHARK」。
映画の冒頭は、ピアソラの趣味、サメ釣りのシーン。実際の8ミリ映像に「音楽と釣りは同じだ」というモノローグが印象的だ。息子ダニエル・ピアソラから見た“父、アストル”の生涯という視点で構成された。貴重なアーカイブと映像を美しくコラージュし、アーティストとしての葛藤を映し出している。

 

 

 

 

 

 

サブ3

8歳の時、父親からプレゼントされたバンドネオン。心ならずも個人レッスンに通わされるピアソラ。一家はピアソラが4歳の時にニューヨークの貧しい地区、ローワーイーストサイドに移り住み、父親は毎晩仕事の後タンゴを聞いていた。
いつしかピアソラは、バンドネオン奏者の道を進み始め、すぐに頭角をあらわす。アルゼンチンにもどったピアソラは、本場のタンゴに魅了され、当時大人気だった「トロイト楽団」に入団を果たす。結婚し2児をもうけ、自分の楽団に力を注ぎながら充実した日々を送る。パリへも留学し、クラシック音楽を学ぶが、帰国後、八重奏団を旗揚げしたものの、革新的な丹後は糾弾され、命まで狙われる。危険を感じニューヨークへもどるピアソラだが、アメリカの音楽界にも冷たくあしらわれ、愛する父の訃報も受け取る・・・。

 

 

 

 

 

 

サブ2
監督のダニエル・ローゼンフェルドは、息子のダニエラ・ピアソラから連絡を受け、父親のドキュメンタリー制作を依頼された。ピアソラの音楽の独自性を伝えるのが、映画のテーマであるとローゼンフェルド監督は考えた。この音楽はどこからきたのか? ピアソラのエピソードにでてくる「見えない糸」にあるのではないか? なかでも、1942年、タンゴ純粋主義者からピアソラのタンゴは邪道である、と攻撃されたこと、また、タンゴを捨てクラシックの道に進むべく奨学金を得てパリに留学したおり師となったナディア・ブーランジェが切り開いた新しいタンゴへの道。回顧録では、ピアソラはこれらの物語ひとつひとつが運命だったと語っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

Foto 41

この映画は語り手ありきの常識的なドキュメンタリーではない。4年にわたり集めたアーカイブは、家族の8ミリ映像、組写真のモンタージュ、さまざまな国で行われたインタビューなど貴重な素材の魅力的な集積だ。「リベルタンゴ」はもちろん、コンサート映像をはじめ、「ロコへのバラード」「アディオス・ノニーノ」などピアソラの演奏がふんだんに盛り込まれている。
ブエノスアイレスの「昨日と今日の人々」「道端での音のなか」で見つけた、ピアソラだけの音符。それが彼にタンゴの秘密を教えてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

サブ1

2017/フランス・アルゼンチン/英語・フランス語・スペイン語/カラー(一部モノクロ)/94 分

東北新社 クラシカ・ジャパン
国際共同製作:クラシカ・ジャパン
https://piazzolla-movie.jp/

© Juan Pupeto Mastropasqua

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