『エリザベート 1878』で描かれるセンセーショナルな新エリザベート像
2023年08月20日
『エリザベート 1878』
8 月 25 日(金)より TOHO シネマズ シャンテ、 Bunkamura ル・シネマ 渋谷宮下ほか全国順次公開
「ファントム・スレッド」による卓越した演技で賞賛を浴びたヴィッキー・クリープスが19世紀オーストリアの皇妃エリザベートを演じ、2022年・第75回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門で最優秀演技賞に輝いたセミ・ドキュメンタリータッチの伝記ドラマである。
「ある視点」部門とは、「独自で特異な」作品というコンセプトで設けられた賞だが、これまでのエリザベート像を壊すあらたな角度から役作りしていったヴィッキー・クリープスの受賞には説得力がある。
エリザベートは、本国オーストリアでは欧州王室一の美貌の皇后として語り継がれ、今では肖像画をあしらったキャラクターグッズであふれている。観光スポットの人気No.1は、エリザベートの私物などを展示した「シシィ博物館」だ。「シシィ」という相性で親しまれ、アイドル的な歴史上のアイコンである。
一方、日本でのエリザベート皇后の人気は、1996年宝塚歌劇団、2000年の東宝ミュージカル「エリザベート」の爆発的ヒットから始まる。オーストリア=ハンガリー帝国の皇后エリザベートの生涯を描いたウィーン発のミュージカルで、脚本・作詞はミヒャエル・クンツェ、作曲はシルヴェスター・リーヴァイ、宝塚歌劇団の鬼才、小池修一郎氏の潤色・演出を手がけた。“男性の傍で賢く、行儀よく、出しゃばりすぎず“、を強いられるエリザベートの葛藤を描き、“いかに女性は解放されるべきか“、といった今もなお普遍的テーマで多くの女性の共感を得たのである。
ドイツ地方・バイエルン王国公爵の次女として自由な環境で生まれ育ち、木登りや乗馬が好きなおてんば娘だったエリザベートは、姉のお見合いに連れていかれたバート・イシュルで、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世から見初められ、16歳で宮廷に嫁入りする。伝統と格式を重んじる宮廷の軋轢の中で苦しみ、ヨーロッパ中を流浪する日々のなか、しだいに死への願望を強く持ち自己の内に閉じこもっていく。舞台版では、その幻影ともいえるトート(死)を擬人化しエリザベートを誘惑する。
ウィーンのホープブルク宮廷を見学すると、豪奢ではあるが質実剛健、暗く重い空気が流れている。バイエルンの明るい日差しの中で飛び回っていた少女には、その空間だけでも重圧だったに違いない。舞台でのエリザベートは、少女期から暗殺されるまでの数々のエキセントリックなエピソードで綴られる。
義母との軋轢、息子ルドルフも見捨て、夫には愛のかけらもない、ひたすら自由を求めて旅を続け死への憧れのなかに自分を閉ざしていく。自己のアイデンティティを探すトート(死)とのファンタジックともいえる旅に、90年代、まだまだ自由を享受できない女性から憧れを持って迎えらた。
映画では、エリザベートの晩年、1877年のクリスマスイブに40歳の誕生日を迎えたエリザベートの1年間を追う。舞台で作られたイメージのエリザベートとは異なる、エリザベートのプライベートな内面をフィクションも交えて掘り下げる。舞台のエリザベートを知っている人であれば、知られざるエリザベートの真の姿に驚くことだろう。舞台を観たことがなく、エリザベートとは何者か、まったく予備知識がない人にも、人間として抱く普遍的な葛藤には共感できるはずだ。
舞台では常に旅に出て公務はおざなり、息子を放置、皇帝への愛は微塵もない、破天荒な女性として描かれたエリザベートとは異なり、映画では、窮屈な形式的公務もこなし、息子ルドフルとは常にコミュニケーションをとり、ともに旅にも出る。夫のフランツ・ヨーゼフとは、喧嘩もするがベッドもともにする円満な夫婦関係を保ち、乗馬仲間の美貌の元愛人には今も恋愛感情を持ち英国まで会いに行く。マリー・クロイツァー監督が見出したエリザベートは、より人間味のあるエリザベートだ。
中指を立てた扇状的なポスターのエリザベートは、自分に向けているという解釈もできるだろう。思うままの人生を歩めなかった私。それは女性であったがためだったかもしれないし、皇后という立場であったからかもしれない。しかし、置かれた境遇から逃れたい願望は誰しもが持つ。自由にならない自分、思い描いた人生を歩めない自分に対する苛立ち、満たされない乾いた心。人間を縛るものは数々存在する。原題にもなっているエリザベートのコルセットがその象徴である。
ヨーロッパ中に絶賛された美貌を守るため、異常なまでのめりこんだ美容道。50センチのウエストを作るコルセット、体型を保つための体操室、腰まである長い髪を艶やかにするための卵のシャンプー…。その美貌の象徴を次々と捨て去っていくエリザベート。人生に対する情熱や渇望はもやはない。自由になるために沈みかけたハプスブルクの船からどのように降りるか、その一点を見つめて生きている。エリザベートはそのためにどのような選択をするのだろうか? その答えは最後のシーンで観客に委ねられる。
『エリザベート 1878』
監督・脚本 マリー・クロイツァー
キャスト ヴィッキー・クリープス、フロリアン・タイヒトマイスター、カタリーナ・ローレンツ、マヌエル・ルバイ、フィネガン・オールドフィールド、コリン・モーガン
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