リージェント セブンシーズ クルーズ「セブンシーズ スプレンダー」で巡る夏のスカンディナビア vol.3

カテゴリー/ VISIT |投稿者/ Gouret&Traveller
2023年11月22日

クルーズラバーにとってようやく心ゆくまで世界の洋上を旅する扉が開いた2023年の夏、バルト海を巡る優雅な船旅を楽しんだ。今回は、ヨーロッパ大陸とスカンディナビア半島に囲まれた海域、北欧の4カ国を巡るクルーズ船でのアクティビティ、寄港地ドイツのロストックから内陸へバスで往復5時間かけてベルリンへ。さらに、スウェーデンからデンマークのハムレットの舞台となった世界遺産、クロンボー城へのエクスカーションをリポート。

 

ベルリンの戦争跡を訪ねるエクスカージョンに参加

リージェント セブンシーズクルーズのセブンシーズ スプレンダーががロストック (Rostock) の港に、が入ったのは、朝7時。ドイツ北部のバルト海に面する港湾都市で、中世のハンザ同盟の中心都市だった町だ。朝食もそこそこに急ぎ向かったのは、港に迎えに来ている観光バス。エクスカーションは、寄港地の近隣を観光する場合が多いが、今回は2時間半かけて内陸のベルリンへ向かう。ほとんどのエクスカーションはクルーズ代込みだが、今回は遠方ということもあり230ドルほど特別料金がかかる。

2時間半ドイツ内陸部をバスに揺られてベルリンに到着するとガイドさんと合流。広いベルリンの町を巡るバス旅がスタートした。

ベルリンは、いま、アートで注目されており、世界有数のクリエイティブな街。アーティストやノマドワーカーで溢れ、最新カルチャーの発信地である。

しかし、アート巡りは何度か経験があるため、今回参加したのは、第二次世界大戦に関連する場所を回るベルリン周遊。参加者はアメリカ人が多く、連合軍として戦い、ヒトラー率いるドイツを敗戦に追い込んだ歴史をあらためて知りたい、という人が多かった。ドイツとともに敗戦国となった日本人としても興味のある行程だ。ドイツはヒトラーを忘れることなく後世に伝えていく義務を自らに課している。ヒトラーの痕跡は一切残さず、名前を呼ぶこともしないという。「彼」と言えば文脈からヒトラーと理解するそうだ。ベルリンは、まだ敗戦の傷みが色濃く残っている。

 

 

上からチェックポイントチャーリー、ブランデンブルク門、近くには駐車場になっているヒトラーの自殺場所、ベルリンの壁

まずは、カイザー・ヴィルヘルム記念教会へ。ベルリン動物園駅の近く、現在、ブティックやショップが並ぶ繁華街の中心部に建つ、屋根が半分崩れ落ち、外壁も剥がれ落ちたままの教会。第二次世界大戦の最中、1943年に空襲によって崩れ落ちた。広島の原爆ドームのように、あえて再建されることなく、戦争の悲惨さを物語るそのままの姿で残されている。

次に世界遺産にも登録されているベルリン屈指の人気スポット博物館島へ。川の間に挟まれた島に5館の美術館や博物館が集まっている。博物館島の屋外部分に柱廊には、戦争の傷跡が残る。銃撃戦が行われていたことを示す多くの弾痕。リノベーションされた新博物館の内部にも、柱などに残る弾痕が残され、戦争の歴史を今も伝えている。

そして、ブランデンブルク門を過ぎてポツダム広場近くにあるヒトラー最後の地となった総統地下壕を過ぎる。今は集合住宅やその駐車場となっておりヒトラーの痕跡はまるでない。地下壕は攻撃されても防げれるように分厚いコンクリートで作られていたという。19451月からヒトラーはこの地で過ごすようになり、430日に自殺を遂げ、これがドイツの敗北を決定づけた。そんな地がヒトラー崇拝の聖地にならないようあとかたもなく破壊された。

今は、カフェなども並ぶエリアの道路の真ん中に現れるチェックポイントチャーリー。冷戦期においてベルリンが東西に分断されていた時代、同市内の東西ベルリンの境界線上に置かれていた国境検問所である。1961年から90年まで存在し、冷戦のシンボルのように捉えられていた。博物館にはドイツ分断の歴史やベルリンの壁についての資料が数多く展示されている。

連合国博物館は、冷戦中の1945年から90年、西ベルリンと西ドイツを占領したアメリカ、イギリス、フランスの軍隊の歴史を展示。西側連合国の50年の政治史とドイツにおける連合軍の存在について学べる。博物館の横には、実物の飛行機が残されているのが印象的だ。

そして、ドイツが東西に別れていた頃の様子を垣間見ることができる歴史的遺産といえば、なんといってもベルリンの壁。資本主義のアメリカ・イギリス・フランスに管理されていた西ドイツと、社会主義のソ連に管理されていた東ドイツの間でしだいに生まれていった貧富の差。東ベルリンから西ベルリンへ人が移り住もうとし始め、ソ連と東ドイツは人口流出を止めるため1961813日、東ベルリンと西ベルリンの往来を禁止、壁を築いた。ベルリンの壁を越えようとした多くの市民が射殺されたり逮捕されていたニュースは今もよく覚えている。壁のグラフィティなどを見ても当時の緊迫した雰囲気はあまり感じられず、いまとなっては、実感があまりわかない。とりあえずは、平和になったのだと感じる。

1日かけてひとつのテーマで町を巡ることができるのは貴重な経験だった。エクスカーションには、ホロコーストをテーマにした硬派なものから、通常のドイツツアーでは訪れることの少ないフランスのシャンボール城をモデルにし、「北のノイシュバンシュタイン城」と呼ばれる「シュヴェリーン城見学」など、興味深いものばかり。知られざる場所に連れていってくれるのが、クルーズ旅の醍醐味である。

 

ハムレットの舞台、デンマークのクロンボー城へ

翌日の寄港地はスウェーデン、ヘルシングボリ。ここから、デンマークの首都・コペンハーゲン近郊の港町・ヘルシンオアに立つ、「ハムレット」の舞台として知られる世界遺産の古城、クロンボー城の見学のエクスカーションに出かける。いつものように観光バスに乗りこむと、なんとそのままフェリーでデンマークに渡る。

5キロ先の対岸にスウェーデンの街・ヘルシンボリを臨むデンマークのヘルシンオアは、海洋上の重要拠点。エリック7世王が海峡の通行税徴収のためにクロンボー城を15世紀に築いた。「ハムレット」の舞台、クロンボー城の北棟は王の住居、西棟は王妃の住居、東棟は王族の部屋や厨房、南棟は教会となっている。北欧最大を誇る舞踏場や、1500年代にブリュッセルで制作された巨大なタペストリーのなどがみどころ。シェイクスピア自身は訪れたことがなかったということだが、クロンボー城内では、ハムレットや王、王妃などに扮した出演者が、城のあちらこちらに現れる。夏休み中ということもあり、子ども連れも多く、王やハムレットが話しかける様子が微笑ましい。

 

この日はスウェーデンに寄港、ということで、船にもどるとレセプションではスウェーデンの大スター、アバ(ABBA)のヒットメドレーコンサートが開かれていた。アバはいまだに世界的人気を誇るグループ。誰もが知る曲が流れると人がどんどん集まり、いつのまにか大ダンス大会に。「ダンシング・クイーン」を全員で大合唱しながら、知らない人同士肩を組んで踊りまくる。国籍に関係なく知らない人同士が仲良くなれるのもクルーズならではのお楽しみである。

9泊で5か国の観光地をまわり、船ともついに別れの時が訪れる。美味しい食事を好きな時間に楽しみながら、プールサイドでリラックスしているあいだに、移動もスムーズに未知の地に運んでくれるクルーズ旅。一度その魅力を知れば、誰しもが必ずやリピーターになるに違いない。

 

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Text&Photos Miki Yamashita

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