石戸谷結子のオペラ散歩⑪ ミュンヘン・オペラ・フェスティバル カウフマンの「リング」
2018年09月10日
クラシック音楽、なかでもオペラを専門に、多数の評論を執筆。難しく思われがちなクラシック音楽をわかりやすく解説し、多くのファンを持つ音楽ジャーナリスト、石戸谷結子さんが、世界の劇場を巡り、オペラの楽しみ方を教えてくれる連載、「石戸谷結子の世界オペラ散歩」第11回目は、ドイツ・バイエルン国立歌劇場」で開催されるミュンヘン・オペラ・フェスティバルのレポートです。
〇ミュンヘン・オペラ・フェスティバル
★カウフマン渾身の「ワルキューレ」
(上)バイエルン国立歌劇場外観 (中)プリンツレゲンテン劇場内部 (下)バイエルン国立歌劇場内部
今年の夏も「キリギリス生活」に突入した。冬は蟻(アリ)としてせっせと働き、夏になると、朝からキリギリスになってオペラ三昧。秋からは、また働き蟻に戻る。そんな人生を続けてもう数十年になる(ホントは40年以上にもなる)。おまけにここ十年ほどは、一定の目標ができて、キリギリス生活は1年中にわたる。ではいつ蟻になるかというと、これはなかなか難しいモンダイなのだ。
それはともかく、目標とは「ヨナス・カウフマン(写真 Photos Royal Opera House ロンドン・ロイヤル・オペラ・ハウス 「オテロ」)の追っかけ」だ。最初は日本で、2000年の11月に日生劇場で行われたミラノ・ピッコロ座「コシ・ファン・トゥッテ」で、フェランドを歌ったのを聴いた。2003年には鮫島有美子さんが、「若い有望なテノールがいる」と連れて来られて、ヴォルフの「スペイン歌曲集」を二人で歌い、「美しき水車小屋の娘」も歌った。この時は将来大スターになる、という予測はできなかったのだが。その後ザルツブルク音楽祭の「後宮よりの逃走」やヴェネツィアのフェニーチェ歌劇場の「ロメオとジュリエット」などで、何度か足を運んではそれでも、しぶとく追っかけを続けている。なにしろ、いまや「世界一チケット確保が難しい、最高人気を誇る大人気テノール」に成長してしまったからだ。
というわけで、今夏の「カウフマン追っかけ」の成果、聴いてください。
今年の夏、世界のワーグナー・ファンの間で最も人気があったのが、バイロイト音楽祭ではなく、ミュンヘン・オペラ・フェスティバルだった。なにしろカウフマンが歌う「パルジファル」と「ワルキューレ」の2本が聴けるのだ。といっても「ニーベルングの指環」全曲を一括して買わないといけないので、2曲聴くには2週間以上ミュンヘンに滞在しないといけない。蟻生活も残っているので「パルジファル」は諦め、こちらはライヴビューイングで観ることにした。
★素晴らしいミュンヘン「リング(指環)」
(上)「ラインの黄金」(下)「ラインの黄金」左からアルベリヒ、ローゲ、ヴォータン
「ニーベルングの指環」全4曲は今夏1回のチクルスだけ。プロダクション自体は2012年がプレミエで新しくはないが、超人気指揮者のキリル・ペトレンコが秋からベルリン・フィルの音楽監督に就任するので、ミュンヘンでの指揮はこれが最後の機会となる。チケットは宝くじなみの抽選になったが、幸運にも当たった。勇んで出かけたミュンヘンは暑かった。とはいえテレビでは連日、日本の40度越えのニュースをやっていて、それに比べたら33度など低いものだ。
「指環」全曲はアンドレアス・クリーゲンブルグの演出。新国立劇場でも「リゴレット」や「ヴォツェック」などの演出で高い評価を受けた演劇畑の人。「ラインの黄金」はまず幕が開いたままの舞台に男女が50人ほど座っていて、おしゃべりしたり、軽食を食べたり。その人たちが服を脱ぎ、裸の状態から全員でライン川を表現する。つまり、舞台装置は最小にとどめ、情景や装置などを人が表現する。近年流行する人海戦術といっていいだろうか。スペインの異色集団、ラ・フラ・デルス・バウスが最初にやって見せた表現方法だ。たとえば、巨人たちは圧縮した人間 (人形だが) の上にのっている。演出のテーマは「人体・人間」であるようだ。「ライン」に関しては地下のニーベルハイムも描写もスペクタクルで納得のいく舞台だった。歌手ではヴォータン役のヴォルフガング・コッホが気にいらなかった。クリングゾルやヨカナーンで定評あるバリトンだが、演出かもしれないが老体で声も迫力に欠けた。最も迫力あったのがアルベリヒ役のジョン・ラングレン。この人、バイロイトではヴォータンを歌っているのだから代わって欲しかった。またファフナー役のアイン・アンガーの声がひときわ良く響いた。
(上)「ワルキューレ」ワルキューレの騎行、(下)ワルキューレの幕切れ 炎を作っているのは人間!
お待ちかね「ワルキューレ」は、歌手も指揮も素晴らしく、それだけで大満足したのだが、演出は全く気に入らなかった。演出家は「ライン」でアイデアを出し尽くしたのではないか。人海戦術は相変わらずで、暗い舞台でうごめく大勢の人物が何を表現しているのか、理解できなかった。特に第1幕ではフンディングの家の奥で死体を運ぶ看護婦が大勢いたり、大勢の女たちが酒をバケツリレーで渡すなど、意味不明。第2幕の感動場面であるジークフリートの死の告知の場面で、浮浪者たちがうごめいているのも意味不明。そんな不満の演出を一掃するほど素晴らしかったのが、カウフマンとアニア・カンペのカップル。カウフマンは抑えた表現で、繊細にじっくりとジークムントを歌い演じ、「冬の嵐が過ぎ去り」ではまるでリートのようにリリックにニュアンスを込めて表現した。ジークリンデ役のアニア・カンペが大声量と深い表現力で急成長し、カーテンコールでは嵐のような拍手を受けた。3幕の2場ではニーナ・シュテンメが素晴らしいブリュンヒルデで、血が沸きたつほどの感動を覚えた。歌手も素晴らしかったが、それ以上に感動したのが、ペトレンコの指揮。息を呑むほどの緊迫感と自在なニュアンス豊かな表現にただうっとりと身をまかせ、5時間半があっという間に過ぎた。彼ほどワーグナーの旋律を繊細かつドラマチックに表現できる指揮者は他にいない。
★「ジークフリート」と「神々の黄昏」
(上)「ジークフリート」炎のなかからめざめたブリュンヒルデ (中) 「ジークフリート」人間が形作る大蛇 (下) 「神々の黄昏」右から、黄金のドルで遊ぶグンター、ジークフリート、美しいグートルーネ
ワーグナー3日目。猛暑の中、5時から10時半まで4回の公演が続く。ペトレンコの指揮が恐ろしいほどの緊張感に満ちており、テンポ感もあり、充分に歌う。管弦楽部分ではオーケストラを存分に響かせるので、少しも長さは感じず、一気に幕切れに向かう。「ジークフリート」もまた人海戦術で、森でジークフリートが大蛇を退治する場面では20~30人の人間の塊が大蛇になる。空中に吊され、その中にファフナーがいる。真っ赤な大蛇でかなり迫力あり、見どころ満点。ファフナーのアイン・アンガーも絶好調だ。今回彼はファフナーとフンディングを歌い、大歌手に成長した。3幕ではこれまでゆっくり眠っていたニーナ・シュテンメのブリュンヒルデが目を覚まし、おびえるジークフリートを押し倒し、大迫力で愛の2重唱を歌いあげた。
(上)「神々の黄昏」ギービヒ家の館はニューヨークのオフィス (下)ミュンヘン・オペラ・フェスティバルの目玉、「パルジファル」カウフマン演じるパルジファルと花の乙女たち。
まずは映像で福島原発と大津波が映される。人間的で原始的だった神々の時代から、時は移って現代になり、神々だけでなく人類も滅ぶのだ。幕が開くとNYのトランプタワーのような巨大企業。人々はスマホとパソコンにかじりつく。そんな近代社会に現れたジークフリートはすっかり都会に魅了される。しかしそこには彼の居場所はなく、策略に乗せられてあっけなく殺される。まあとても解りやすい演出だ。ジークフリートを歌うのは、ステファン・ヴィンケ。パワーはあるが深みのない歌唱だが、ジークフリート役には合っているかもしれない。それに2公演を歌うスタミナもある。ジークフリートを歌える歌手は本当に少ない。この日、最も素晴らしかったのが、ブユンヒルデ役のニーナ・シュテンメ。輝かしい高音とパワフルな声だが、少しもヒステリックにならず、リリックなまま迫力がある。10年以上前から世界最高のブリュンヒルデであり続ける、その深い歌唱を存分に堪能できた。これもペトレンコのニュアンス豊かな指揮がサポートしているからだ。歌手が歌う部分では音量を抑え、オーケストラ部分では一気にボリュームをあげて、充分に旋律を響かせる。緩急・強弱・テンポ・音量を自在にコントロールして、ダイナミックで感動的なワーグナーを聴かせてくれた。
石戸谷結子(音楽評論家)
Yuiko Ishitoya, Music Journalist
青森県生まれ。早稲田大学卒業。音楽之友社に入社、「音楽の友」誌の編集を経て、1985年から音楽ジャーナリスト。現在、多数の音楽評論を執筆。NHK文化センター、西武コミュニティ・カレッジ他で、オペラ講座を持つ。著書に「石戸谷結子のおしゃべりオペラ」「マエストロに乾杯」「オペラ入門」「ひとりでも行けるオペラ極楽ツアー」など多数。
「再訪したくなる美食空間 東京ファイル⑩「T3」和牛メインのフュージョン・フレンチ」