石戸谷結子の世界オペラ散歩① 英国ロイヤルオペラで今をときめくテノール、カウフマンのオテロ
2017年07月15日
クラシック音楽、なかでもオペラを専門に、多数の評論を執筆。難しく思われがちなクラシック音楽をわかりやすく解説し、多くのファンを持つ音楽ジャーナリスト、石戸谷結子さんが、世界の劇場を巡り、オペラの楽しみ方を教えてくれる連載、「石戸谷結子の世界オペラ散歩」が始まります。第一回目は、当代随一の人気テノール、ヨナス・カウフマンを追って、イギリス、ロンドンの英国ロイヤルオペラに向かいました。キャンセル魔のカウフマンですが、今回は舞台に登場したのでしょうか? カウフマンの大ファン、世界中を追いかける石戸谷さんにレポートしていただきます。
カウフマンの心理描写に重きをおいた新「オテロ」像
冬の間はせっせとアリになって働き、夏はキリギリスになって遊びまわる。そんな人生を夢みていたのだが、いざキリギリス生活に突入してみると、これも意外にタイヘンなのです。なにがって、体力と財力が。足りない体力と財力にムチ打って、6月から8月まで、ヨーロッパの3つのオペラ音楽祭をまわる計画を立てた。まずは、グラインドボーン音楽祭のお話、聞いてください。
じつはその前に、ロンドンのロイヤル・オペラに行ってきました。
いま世界のオペラ界で、ダントツ一番人気の歌手といえば、ドイツ生まれの「ヨナス・カウフマン」です。輝かしい声を持ち、歌の巧さは抜群で、演技力にも優れている。おまけに絶世の美男ときているので、人気は上がるばかり。ミュンヘンでもパリでもニューヨークでも、彼が出演するオペラはすべて即日完売となる。その彼が「キャリアの最後に歌いたい」と言っていた、ヴェルディの最高傑作「オテロ」に、いよいよ挑戦した。初役の舞台に選んだのは、イギリスの英国ロイヤル・オペラ。場所の名前を取って、コヴェントガーデン歌劇場とも呼ばれる世界の名門歌劇場だ。6月21日、インターネットでやっと手に入れた「オテロ」初日のチケットを握りしめて、行ってきましたロンドンに。
じつはカウフマンは“キャンセル魔”。これまでにも、声帯の血栓症などを理由に、度重なるキャンセルを続けて来た。そのため、果たして本当に「オテロ」を歌うのか、世界のオペラ界は固唾を飲んでロンドンに注目していたのだが、大丈夫、カウフマンは無事初日の舞台に姿を見せた!
「オテロ」はヴェルディが73歳の時の作品。シェイクスピアの傑作を基に作曲された。冒頭、荒れ狂う嵐の中、ムーア人の将軍オテロが率いる艦隊がトルコ軍を破り、総督を務めるキプロス島に凱旋する。その登場の場面は、輝かしい第一声「エスルターテ!(喜べ!)」で、このひと声でオテロ歌手の評価が決まる。カウフマンは輝かしい力強い声で、この第一声を高らかに響かせた。
キース・ウォーナーの演出は、暗く陰鬱な感じの装置で、オテロの暗い運命を予告する。悪者ヤーゴの策略に乗せられ、自ら破滅していくオテロ。演劇の国の演出家らしく、舞台はオペラというより、芝居の雰囲気。コンプレックスにさいなまされるオテロを、じりじりと追い詰めるのは、イタリア生まれのいま上り坂のバリトン、マルコ・ヴラトーニャだ。強いキャラクターと圧倒的な声量の持ち主で、悪役には向いている。
1幕の聴かせどころは、二人だけになったオテロとデズデーモナが愛を語り合う二重唱。デズデーモナ役のマリア・アグレスタはイタリア人で、ちょっとダークな音色を持つソプラノで、派手ではないが旋律をきれいに歌わせるソプラノ。カウフマンは持前の繊細で抒情的な表現で、愛を切なく歌いあげた。
2幕、3幕と続くにつれ、カウフマンの演技に力が入る。ヤーゴのたくらみは功を奏し、オテロは嫉妬に狂い、幻覚を見て、追い詰められ、英雄としての誇りを失っていく。カウフマンのオテロはこれまでの歌手たちが演じたオテロとは一線を画した、心理描写に重きを置いた、悩めるオテロ。まさに「新しいオテロ像」を確立したと感じた。そして最後の幕で歌う「オテロの死」のアリアは、悩み、のたうちまわり、絶望の果てに自らの命を絶った一人の人間の苦悩を表現した。真っ白の衣装が赤い血で染まり、オテロが息を引き取ると、客席には静寂が満ちて、深い感動が広がった。
http://www.roh.org.uk/
Photos Royal Opera House
石戸谷結子(音楽評論家)
Yuiko Ishitoya, Music Journalist
青森県生まれ。早稲田大学卒業。音楽之友社に入社、「音楽の友」誌の編集を経て、1985年から音楽ジャーナリスト。現在、多数の音楽評論を執筆。NHK文化センター、西武コミュニティ・カレッジ他で、オペラ講座を持つ。著書に「石戸谷結子のおしゃべりオペラ」「マエストロに乾杯」「オペラ入門」「ひとりでも行けるオペラ極楽ツアー」など多数。
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