石戸谷結子の世界オペラ散歩②貴族の劇場でピクニックを楽しむ 「グラインドボーン音楽祭」
2017年07月30日
クラシック音楽、なかでもオペラを専門に、多数の評論を執筆。難しく思われがちなクラシック音楽をわかりやすく解説し、多くのファンを持つ音楽ジャーナリスト、石戸谷結子さんが、世界の劇場を巡り、オペラの楽しみ方を教えてくれる連載、「石戸谷結子の世界オペラ散歩」。第2回目は、世界三大音楽祭のひとつ、ロンドンから電車で約20分で行ける貴族的で優雅なグラインドボーン音楽祭の模様を伝えていただきます。
ロンドンからグラインドボーンへ 貴族になって、庭でピクニック
いつものロンドンなら、6月下旬は爽やかで過ごしやすい季節だが、ことしはヨーロッパに熱波が押し寄せているとかで、連日30度ほどもある晴天が続く。大きなテロ事件や高層アパートの大火災などが続いたにもかかわらず、この陽気にロンドンっ子たちは大はしゃぎで、リゾート地のような恰好で自転車に乗り、ハイドパークを爽やかに走り抜けていく。「オテロ」の翌日は最高に楽しい「愛の妙薬」を観て、翌日は列車に乗ってグラインドボーン音楽祭へ。
ヴィクトリア駅から列車に乗り1時間ほどで、サセックス州の小さな町、ルイースに到着する。この駅がグラインドボーン音楽祭への入口だ。駅に着くとシャトル・バスが待っていて、20分ほどで会場まで連れていってくれる。到着したのはなだらかな丘陵地帯で、周りにいるのは羊だけ。その羊ケ丘の真ん中あたりに、優雅な古い貴族の館クリスティ家の屋敷があり、その隣にレンガと木で造られたシックなオペラ・ハウスが建っている。
グラインドボーン音楽祭は数あるヨーロッパの音楽祭の中でもとびっきりユニークだ。
何しろ、始まりは貴族の館のプライベート音楽祭だったからだ。貴族のジョージ・クリスティが結婚した妻は、歌手のオードリー。彼女の提案で館の中に300席のオペラ・ハウスを建て、夏の音楽祭を企画した。1934年にスタートし、有名指揮者や演出家を招いてモーツァルトの「フィガロの結婚」で開幕した。以後現在まで公の援助を受けず、個人経営の音楽祭として続いている。期間は5月中旬から8月末までの約3か月半。指揮者、演出家、歌手は超一流で、質の高さはザルツブルグ音楽祭、エクサンプロヴァンス音楽祭とならぶ、世界3大音楽祭の一つだ。
さらにこの音楽祭を有名にしたのは、公演途中に90分という長い休憩時間があることだ。その休憩中、人々はオペラ・ハウスの周りに広がるイングリッシュ・ガーデンでピクニックをするのが「おきまり」なのだ。午後の4時半ころからオペラがスタートし、6時半ころから休憩開始。広大な庭には花が咲き乱れ、周りには羊の群れ。だいたいはグループで、早くから場所取りして、組み立て式の椅子・テーブルを広げ、ワイン・クーラーにはシャンパン。グラスは本物に限りプラスチックはバツ。籐のピクニック・バスケットにサンドイッチ、フルーツ、ケーキなどを詰めてやって来る。ドレス・コードがあり、紳士の90パーセントはブラックタイで、女子はドレス着用。グラインドボーンに行けば、1日だけは貴族の気分を存分に味わえる(もっとも何人かはきっと本物もいる)のだ。
では一人の場合はどうするか。これまで10回ほど通っているが、そのうち半分は独りぼっち。今年もまずはルイース町のスーパーで、ワインとプラスチックの使い捨てグラスを買い、安いレジャーシートを買い、休憩時には庭の片隅に陣取って、コンビニ風サンドイッチを一人もくもくと食べる。敷地内には3軒の豪華レストランがあり、フルコースをいただくこともできるし、椅子・テーブルとシャンパン付きのピクニック・セットをオーダーすることもできる。今回は1日だけインターネットでレストランを予約したが、片隅にたった一人だけの席が用意されていた時は、かなり惨めな気分になった。このレストランは一番カジュアルで、ブッフェ形式。好きなものを好きなだけ、頼んで食べることができる。メニューはサーモンのパイ包み焼とローストビーフ、ヨークシャー・プディング添えに数種類の温野菜とデザートが付く。とても量があり、おいしくいただくことができた。これでチップも入れると約1万円だ。
Photograph by Sam Stephenson
石戸谷結子(音楽評論家)
Yuiko Ishitoya, Music Journalist
青森県生まれ。早稲田大学卒業。音楽之友社に入社、「音楽の友」誌の編集を経て、1985年から音楽ジャーナリスト。現在、多数の音楽評論を執筆。NHK文化センター、西武コミュニティ・カレッジ他で、オペラ講座を持つ。著書に「石戸谷結子のおしゃべりオペラ」「マエストロに乾杯」「オペラ入門」「ひとりでも行けるオペラ極楽ツアー」など多数。
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